2010年8月16日月曜日

旅の総括


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今回の船旅を総括すると、日本人的な楽しみ方ではなく欧州人の楽しみ方をすべきであったと反省した。船に乗って行けなかったところを旅することが当初の目的でありそれは達成されたものの、船旅を楽しみ4カ国を訪れたのだから、もっと文化や芸術、人との交流を深めることが、船旅の醍醐味であるということを感じたからである。

どうも、人に言う程、自分は社交的ではないみたいである。仲良くなるには時間のかかる人間なので、もう少し、人と触れ合う事に積極的でありたいと思うようになってきた。

船旅は最高である。また、行きたい。欲を言えば、船乗りに戻りたいが、既にその職種は機械に置き換わっている。もう、いつまでもそういうことを言うのはよした方が良さそうだ。

2010年8月14日土曜日

Back to Venice(Venezia)

7泊8日の船旅も終わりベネチアへ帰港。

朝早く起きて、早めの朝食を済ませ、入港から着岸までをトップデッキで海風にあたりながら眺めることにした。迎えのタグボートがベネチア港の入り口で待機していた。ここからは、ゆっくり、運河を戻る。乗船するときは、事前の情報不足からえらい苦労をして、ローマ広場からやってきたが、帰りはタクシーで戻った。飛行機の時間までちょっと余裕があるので、バポレットでムラーノ島まで行こうかと企むが、微妙に戻れない気がして断念。また、来よう。

空港には、フェラーリがF1で優勝した時のマシンが展示してあったので、写真に収めた。空港の免税店で買い物して搭乗。つい、先週の土曜日にやって来たのにもうさようなら。

フランクフルトの空港で待ち時間が4時間もあるので、往きは乗り継ぎまで30分を切って空港の端から端まで走ったのに比べ、帰りは途中で軽食をとる事ができた。いやはや。こうして、人生初の乗客として船に乗ったアドリア海エーゲ海クルージングの旅は幕を下ろしたのである。

2010年8月13日金曜日

Dubrovnik, Republika Hrvatska

読み方が難しいが、クロアチアのドブロブニクに入港。城壁に囲まれた、歴史ある街を探索。恥ずかしい話だが、この都市のことはあまり調べていなかった。

港の入り口の灯台である。ここから右舷側に向かって新港が作られている。豪華クルーザやヨット、そして別荘やリゾートホテルが並ぶ。写真は撮らなかったが、ツアーバスで港のゲートを出る時、バスに機関銃を抱えた兵士が乗って来てチェックをされた。そうか、旧ユーゴ内戦の戦争の爪痕がここには残っていたのである。


世界遺産として登録されているのだが、ユーゴ内戦の時に攻撃を受けた痕跡が残されている。壊滅的な破壊攻撃を受けた訳ではないが、城壁で囲まれたこの旧市街もロケット弾をいくつか浴びていた。最初に見学した、修道院にはポッカリ空いた壁の穴が残されていた。ただ、そこには世界一古いと言われる薬局があり、普通に薬を売っているのだが、なんか複雑な心境であった。


城壁の上から、メインストリートを写してみた。実際にはこの中を歩いた後、城壁を一周してみたのだが、これが結構大変であった。限られた時間の中なので、のんびりと言う訳には行かないが、下を歩くのと上から見るのとでは大違いである。これが何百年も前から残っているというのがすばらしい。


見晴らしのいいところから写すとこんな感じである。まさに、城壁の中の街、アドリア海の真珠、なんとでも形容できる。内戦の時は、この城壁の裏にそびえる山を越えて二つの国から攻められたそうだ。怖そうな顔のガイドが話してくれた。複数の民族が一つの国家を形成する難しさは日本人には理解できないが、ヨーロッパの小さな国は歴史に翻弄される宿命なのであろう。

写真はまだまだたくさんあるのだが、このガイドの説明を聞いているうちに、平和のありがたさが身にしみて来て、今はこうしてリゾートと化した歴史の城壁の街は、直接目で見て欲しいと想い、限られたものだけをここに載せることにした。


船は夕方出港。川の両岸に掛けられた橋を遠目に船は港を離れて行く。明日は、ベネチアに戻る。あっという間の一週間であった。今日は、夜中までに荷物をまとめて通路に出しておかなければならない。なんだか、もう一週間この船に乗りたい気分である。

2010年8月12日木曜日

Sailing from Aegean Sea to Adriatic Sea

今日は丸一日航海日。船は、エーゲ海、イオニア海を経由してアドリア海へ。

Maleas岬に教会があって、船が汽笛を鳴らすと、教会の鐘を鳴らしてくれる。それが聞こえる位近くを交わすのである。この景色と風景はとても心安らぐものであった。

名も知らぬ島の間を航海する。







ギリシャ最南端の岬、テナロン岬。この先、Schiza島、Sapientza島、Ketallonia島、等のギリシャ西岸の島々の沖合を北西方向に航海して行くのである。




ひたすら、こんな感じで船は航海して行くのです。鈍足のタンカーと違って23ノットのクルーズ船のスクリューがかき混ぜる足跡は、凪いだ海面に細く長くその航跡を残して行くのである。デッキで寝そべってみたり、オープンカフェでお茶したり、プールサイドでビンゴしたり、ただ、だらだら過ごすだけの一日。





今日の夜は、最後のガラナイト。船からのプレゼントとしてDinnerの後にケーキのごちそう。何と言う名前か忘れたが、表面のアルコールに火を点けて電灯の消えた船内でウェイターが各テーブルに配って行く。

そろそろ、この旅も終盤にさしかかる。明日のドブロブニクが最後の寄港地となる。

2010年8月11日水曜日

Istanbul, Turkey

今回のクルーズ旅行の目的はイスタンブールでヨーロッパとアジアの接点を感じること。欲を言えば、ボスポラス海峡を通って、黒海クルーズまで足を伸ばしたかったのだが、そこまで休むと会社をクビになりそうなので、入り口のイスタンブールまで行く事で我慢したのである。

朝起きると、イスタンブールのアジア側から朝日が昇って来た。夜のうちに、ダーダネルス海峡とマルマラ海を通航してきたのだが、心地良い眠りの中で、見たかったものを見ることもなく目覚めるとは。

例のごとく、ツアーに出発。出発風景は、いつもの通り、複数種類のツアー毎に集合場所が異なるため、船内放送を聞きのがしまいと耳の神経が張りつめる。まずは最初に船が着岸している新市街側の港からバスでガラータ橋を渡り旧市街へ。そして、最初の目的地ブルーモスク(Sultan Ahmet Mosque)へ。神聖なるイスラムのモスクなので、靴を脱ぎ、肌を露出している服を着ている女性にはショールが渡される。ただ、トルコはヨーロッパの文化も入っているので、寛容ではあったが、嫌がるヨーロッパ人も居た。その隣の、サルタン公園をぶらぶらしながらバスに戻る。

ツアーとは言え、途中でバスを降りて自由散策の時間が設けられているのだが、ツアー会社の企みで自由散策の前のトイレ休憩と集合場所となるとあるカーペット屋に連れて行かれ、ペルシャ絨毯(トルコ絨毯)のセールスを受けるのである。手作りトルコ絨毯の良さを一生懸命説明しているのはわかるが、高くて買う気にもならない。受注生産で国際送料無料とかいろいろ言われても、100万円以上するカーペットなんか敷く家ないし。トルコ茶をタダで飲ませてもらいながら、カーペット売りのパフォーマンスとして楽しんだということでおしまい。

今日は、グランバザール(トルコの人の発音だと、グランバザァールルゥ)が開かれる日だということで、早々に移動。まぁ、確かに広いショッピングモールだというのは解ったのだが、どの店も同じようなものばかり。おまけに、日本語で話しかけてくる。歩き回って見るだけにした。なんか、怪しそうなものが多いような気もするし、観光名所に集まる外国人だと解ると値段を判断する価値観が狂ちゃうしね。

街中を散策して、集合場所のカーペット屋前のイタリアンカフェで休憩。それにしても、時差ぼけが直らず眠い。日本時間にして午後3時なのに、眠いということはいつも昼寝してたのか!、と。次は聖ソフィア教会(Hagia Sophia)へ。ここは、歴史の中で宗教に翻弄されながら教会からモスクになったり、今は博物館のようになっていた。これぞ、ヨーロッパとアジアの融合というような印象であった。内部は補修中のところが随所にあって、ちょっとがっかり。

次は、シラガン宮殿(Ciragan Palace)。旧市街からバスで新市街へ移動。この宮殿、今は、高級ホテルの一部になっているオスマン帝国時代の宮殿の一つ。ここで、ツアーは昼食を取る。いくつかのツアー流れも同じ時間帯に集まるので、大きな部屋の中はさしずめ、自分の船のレストランの様相であった。この宮殿前から一同はチャータフェリーで旧市街を目指す。



途中、自分達の乗って来た MSC Magnifica の傍を通るのだが、やはりでかい。


そして、ツアー最後の場所、トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)へ。まじめな日本人なので、写真撮影はご遠慮くださいという場所では写さなかったのと、実物を見て楽しむのをモットーとするので、写真は中庭のこの一枚。挨拶の門をくぐり中庭へ。宮殿全てが博物館ではあるが、閉まっているものもあって、ハレムには入れずじまい。一通り見終わって、中庭の芝生で涼んでから、集合場所の入り口の噴水(Fountain of Ahmed III)へ戻る。帽子売りの子どもが近寄って来るが、全く言葉が通じない。ボディランゲージで値切り交渉していると元締めみたいなのが来て、これ以上はまけられないと言われたので、じゃぁ要らないと言うとしばらくして戻って来てさっきの値段で売るよ、と。観光名所では当たり前の光景だが、ちょっと疲れ気味なので、お引き取り願った。

朝7時入港で夕方出港。滞在時間約10時間を有効に使うためにツアーを選んだが、だいぶ後悔した。もっと、集中的に見て回るべき場所なので、面倒でもよく調べてから自分の足で回った方がよかったかな。出航後、沖待ちの貨物船の横を南下。あぁ、穀物か鉄鉱石を積みに来ていたら、ここの一つに入っていたであろう。

こうして、このクルーズ最大の名所イスタンブールが慌ただしく過ぎて行ったのである。これから丸1.5日航海である。今日の夜もDinnerの後は、ワイン飲み過ぎで眠ってしまい。夜中のダーダネルス海峡通航を見逃すのである。

あぁ、何のためにここまで来たのか。後悔しきりのトルコであった。こういうことから、また行きたいと思うのであろう。

2010年8月10日火曜日

Izmir, Turkey

朝目が覚めると、イズミール湾の入り口にさしかかっていた。0800LTイズミールに入港。市街地観光のExcursionに出発。

トルコ初上陸。ゲートを通って、バスに乗り込む。このクルーズの寄港地では、いくつかのExcursionが組まれており、詳細を良く調べもせず、乗船初日に全て申し込んでいるので、時間が来たらロビーに集まって番号札に従ってぞろぞろ歩き回るのである。英語ツアーの外国人と一緒に回った。


イズミールの新市街はこんな感じである。市街地観光なので、市内をひたすらバスで走り、途中、美術館で美術品の見学をした後、対岸にフェリーで渡りショッピングを楽しんだ。トルコで3番目に大きい都市ということだが、日本人はツアー客以外全くみあたらない。ここは、アジアの玄関なんだなぁと感じた。香辛料の店はあちこちにあり、もっと滞在したらトルコ料理が楽しめただろうなぁと思った。

昼ご飯を街中で取り、トルコ茶を飲み、つかの間の休息。時間を気にしながら帰りのフェリーの時間に間に合うようにガイドが指定した場所に急ぐ。船に戻って、午後のおやつにありつきながら、出港風景を眺める。

なんだか、バスツアーの慌ただしさのようなクルージングになってしまった。もっと、ゆっくり街中を歩き回りたかったが、いよいよこれから楽しみの一つイスタブール目指して航海していく。

だが、Dinnerとショーで夜も楽しませてくれるので、ついつい眠ってしまった。エーゲ海とマルマラ海を繋ぐ、ダーダネルス海峡通航の様子を見るはずが、夢の中、とは、、、、

2010年8月9日月曜日

Katakolon, Greece

昨夜、船内時計が1時間進んだのでちょっと眠いが、午前6時起床。午前7時過ぎにカタコロン入港。朝食を済ませ、OlympiaへのExcursionへ出発。

船は漁港みたいなちょっとしたヨットハーバーに着岸しているが、ちょっと離れたビーチから見るとこんな感じに見える。

バスで、Olympiaの丘を目指す。およそ1時間で到着。オリンピック発祥の地ということだが、地震や戦争で崩れてボロボロの状態の神殿跡ばかりに見える。歴史上の場所ではあるが、よくぞここまで残っているなぁという感想である。

ヘラ神殿跡だけが聖火の採火の時だけに使われているということだが、ここで何百年も前に平和の祭典というか会議が行われていたというのだから、今のこの状態から見ると不思議である。

あちこちに監視員が居て、立ち入り禁止エリアや石に触ろうもんなら、「ピー」という甲高い笛を吹き鳴らして警告する。
観光客とおぼしきツアーは我がMSC Magnificaの乗客だらけである。まぁ、Katakolonの停泊時間が短いので、ツアーに行くかプールで泳ぐ位しか楽しみがないから仕方ない。

バスで1時間弱もかかる場所なので、バスに乗り遅れたりすると大変と思っていたのに、自分が駐車場を間違えて同じバスの皆さんを待たせてしまって反省しきり。最初の観光地でお土産物を買おうとしたのが悪かった。
軽いお昼休憩をビーチで取って帰船。

1315LT、カタコロン出港。今日の夜は、初のフォーマルナイト「ガラ、カタコロン」シアターではショーの始まりが食事の順番に合わせてくまれているので、Dinner終了後にシアターへ。今日のショーは何でしょう。



こうして、ギリシャの領海を離れエーゲ海を進んで行きました。夜、エーゲ海の美しい島々の間を航海するのですが、眠っている間の出来事なので、ちょっともったいない事をしました。

2010年8月8日日曜日

Bari, Italy

バーリ入港。徒歩で旧市街を観光。

客船ターミナルが出迎えてくれます。この船にはサイドスラスターがついているので、船の向きを変えずに横にスライドして着岸するのです。今の客船ではあたり前の機能です。


初の上陸地ですが、今日は日曜日。街は静かにお休みでした。ターミナルから旧市街が近いので、タラップを降りて徒歩で観光に出発。ターミナルには、タクシーやら観光バスが待機していて、市内観光に誘っていますが、距離を見ると近そうなので出港までの3時間、ぶらぶらしてみることにしました。

1450LT、出港。


ロビーデッキにはピアノが置いてあって、定期的にバイオリンと一緒に演奏しています。この船はカジュアル大型客船、いわゆる大衆向けのクルーズなので、船内には子どもから大人までがくつろげるスペースが数多くあります。

今日は、船内探検で終わってしまった。

2010年8月7日土曜日

Onboard MSC Magnifica in Venice, Italy


朝起きると目の前は水路。水上タクシーが行き交うベネチアならではの光景。午前中は、自分で考えたベネチア観光ルートを辿ってみたが、限られた時間しか無いのでゆっくり鑑賞することができなかった。ムラーノは最初から諦めたのだが、こんなことなら、最初からムラーノ決めうちで早朝から船で行ってみれば良かったと後で後悔した。

当然、ゴンドラに乗れる時間的余裕もないので、バポレットで移動しながら、それらしい光景に出会うと写真に収めるという具合。 ローマ広場〜リアルト橋〜サンマルコ広場〜アカデミア。途中、博物館や美術館を徒歩で周りながら、ローマ広場へ戻って来た。

代理店からもらった地図によれば、客船ターミナルまで徒歩で歩けるということだったが、そんなの嘘。水路で分断されたベネチアの街は橋を渡らないと向こう側へは渡れない。目の前にターミナルと乗船する予定の船のファンネルは見えるが、自動車が入れないベネチアの街中に道路が接続されているはずは無く、ぐるっと遠回りして、スーツケースを押しながら汗だくになって歩く事30分、距離にして約2Km。やっと到着。



サンマルコ広場前は運河になっており、先ほど観光で歩いた街並をトップデッキから眺めながら、優雅な船旅がスタートした。

ベネチアという島の構造は水上都市そのもの。いったいどこが地面なのかと探してみても全て石の上。地面というものは既に海面下に沈んでいるようだ。


それにしても、この船「MSC Magnifica」はでかい。
全長300m、総トン数95,128トン。旅客定員2518人、乗組員1259人。最高巡航速度23ノット。高さが60mもあるこのトップデッキから下を見下ろすのは気持ちよい。さて、明日目覚めたらどこを航海しているのだろうか。ワクワクである。

2010年8月6日金曜日

Leaving for Venice and Cruise


ベネチアからアドリア海とエーゲ海クルーズの客船に乗船すべく成田からフランクフルト経由でベニス(ベネチア)に出発します。座席指定トラブルがあり、少々気分をそがれましたが、久しぶりの長期休暇なので、楽しんでこようと思います。
最新型B777-300はエコノミーシートも高機能化しています。ビジネスクラスは座席が完全に個室化されているようですが、家族で旅行するちょっとリッチな人にとっては、ちょっと冷たい感じがしますね。子どもがビジネスクラスに乗って旅しているのを見るとちょっと違和感がありますが、ま、これも経済原理かとあきらめるしかないですね。


フランクフルトでルフトハンザに乗り換えてベニス(ベネチア)へ出発、途中アルプス山脈を越えて行く時に眼下に氷河を見ながら山脈を越えるとイタリアの街並に変わって行く様子は中々面白いです。



と、いうことで、マルコポーロ国際空港に到着し、バスでベネチアへ。空港からローマ広場前までの直通バスなので、割と便利でした。夏時間なので夜8時でもまだ明るく、ホテルからちょっと足を延ばして周辺をぶらぶら歩いて、長い一日をパスタの夕食で締めて終えました。