2010年12月30日木曜日

沈黙のファイル—「瀬島 龍三」とは何だったのか 新潮文庫 [文庫]

この人の名前と経歴そして伊藤忠商事、何か興味を惹かれる。終戦と同時にシベリアに渡り抑留され、帰還と同時に国の中枢に食い込みながら、数々の商談をまとめあげる裏方に徹する。黒幕と言っても尻尾をつかませず、また、表舞台で華やかに出てこない渋さ。

参謀の中でも、ある意味、したたかだったのだろうが、その人となりを知る上で参考になった本である。シベリア抑留の辛さは、体験した人以外に知る由もないが、学生時代の英語の教授がシベリア抑留経験者だったので、工学系学生としては退屈な英語の講義だったが、講義が横にそれた時の戦争を語るその人の話がやけに生々しく心に刻まれている。

瀬島隆三の抑留中の記述は少ない。本人もあまり語ってないのかもしれないが、真実は小説よりも奇なり、と言われるように、もしかしたら自分が知っている壮絶な物語ではなく、ある意味で平凡な捕虜生活だったのかも知れない。また、彼が語ったものがあれば、探してみようと思う。

2010年12月26日日曜日

初めての万年筆

これまで、本格的な万年筆は持った事が無かった。何だか最近無性に万年筆が欲しくなって、最初の一本はまず手軽なものをということで、パイロットのスリムでシンプルな物を買ってみた。元来、手紙を書く事が多かったが、IT業界に来てからはボールペンのお世話にばかりなっていた。

万年筆には抵抗があった。それは、紙の質が悪かった時代に、ついつい力を入れて紙を破いてしまった想い出があるからである。ペン先がダメだったんだろうが、あれ以来、万年筆から遠ざかった。船に乗ってからは、ログブックを書くようになり、その時は、備え付けのインクボトルに浸けるタイプのペンで書いたものだが、筆感は良かったように思う。

パイロットという社名からは飛行機のパイロットかと思いきや、創業者が昔船乗りだったということでセーラーに対抗したのか、水先案内人の英語名称であるパイロットから取ったものだとのこと。という単純な理由で、パイロットの一番安いシンプルなものにしたって訳。

まぁ、しばらく使ってみて、万年筆が似合う紳士になったら、それなりの万年筆を買おうと思う。

2010年12月23日木曜日

冬至

冬に至るという意味なんだろうか、冬至。昨夜は忘年会だったので、柚湯はお預け、カボチャは今日の朝食。不思議なもので気が楽になった反面、将来を悲観してしまう自分がまどろっこしい。今年の仕事も後2日で終わる。年末までにもう1回会えればと思っても、中々実現しない。何をやっているんだろうね、こんな時に。

これから冬本番である。

2010年12月18日土曜日

史上最大の作戦[Blu-ray]

戦争好きと言う訳ではないが、昔観た戦争映画の迫力を思い出して、BDリマスターされた白黒映画としてこの作品を選んで観てみた。

ジョンウェインとヘンリーフォンダがなんとも渋い。昔観た時もソードビーチの攻防で、これはカジノをぶち壊すことで成功を観るのだが、このシーンが一番気に入っている。そして、最後は、オマハビーチの突破である。これが、この映画のクライマックスとなっている。

昔の映画がBDでリマスターされ、白黒映画が昔のままに甦るというのを実感できた。

2010年12月12日日曜日

白銀ジャック (実業之日本社文庫) [文庫]

堀北真希さん激賞、とかいう帯に惹かれた訳ではない、、、とも言えないが、久しぶりに東野ワールドをのぞいてみた。

ストーリー展開の意外感はあるが、企ての内容がちょっと幼稚なのが、残念。もう少し、状況描写を詳細にして、スリルを感じさせて欲しい感じがする。一度読んだら十分の内容。

2010年12月4日土曜日

2005 Le Ciste, Domaine LAGUERRE

昨夜、一人で一本開けてしまった 2005 LE CISTE, DOMAINE LAGUERRE。この前、ぶらっと入ったワインショップでデイリーワインに如何ですかと、奇麗なお姉さんに勧められて買ってしまったもの。

本当に、一日で飲んでしまわなくても。
窓際のロッキングチェアー脇の太陽電池風車とiPadの間で、役目を終えたフルボディに、ぽかぽか陽気。

昨夜は、一本飲んでそのまま居間で寝てしまい、気が付けば朝。外傷は無かったので、誰も介抱してくれないままだったんだなぁ、と一人寂しく二度寝。師走の風にしては、ちょっと暖かい一日。

2010年12月1日水曜日

昼の銀座

今日は午後半休を取って、銀座をブラブラ。たまには気分転換でもしようというところで、映画を見て買い物をして帰宅。なんか、女の子みたいだと思われるかも知れないが、平日昼間のデパートや街は夜と違って面白い。ガラガラの映画館、さすがにレストランなどでは昼間のマダムたちがお食事を楽しんでおられる。いいねぇ。

ネガティブモードからの脱却こそ、今の自分を景気付ける方法なのだが、空振り、空回り、落とし穴。踏んだり蹴ったり。今週はちっともいいことが無い。で、気が付けば年輪が増えていた・・・そんな、映画の日だった。

2010年11月28日日曜日

Hess collection

講演会に出席した時のお土産としてくじ引きで当たった Napa のワイン Hess Select を飲んでみた。どうせ、景品だからと期待もせずに飲んでみたが、意外と飲みやすくて美味しかった。

3つの地域の cabernet sauvignon をブレンドしてできた 2007 でした。ワインのうんちくを語るような柄ではないが、一口飲んで美味しかったので、紹介しておきます。

Hess Collection
http://www.hesscollection.com/

2010年11月23日火曜日

東京散歩#5

午前中は雨だったが、午後から日が射して来たので、自宅から歩いて都内方面へ2時間歩く事にして、京成押上線沿いを歩く事にした。いつも通っている路線だが、歩いてみるといろんな物が目につく。

現在、押上線は高架工事が進んでおり、残すは八広−曳舟間のみを残している。土地の買収は大方終わっているようだが、まだまだ飛び地が残っていた。ちょうど進行方向に東京スカイツリーが見えるのだが、歩いて行くとどんどん高くなり、展望台の窓の様子なんかが細かく見えるようになってきた。

押上まで一駅手前の曳舟駅でタイムアップとなったので、電車で今来た道を後戻り。

2010年11月21日日曜日

経度への挑戦 (角川文庫) [文庫]

大海原を航海する者にとって、時間を知る術は非常に重要である。位置と時間を知ることができなければ、それは死をも意味するのである。大昔の大航海時代に天文学者と職人の戦いから生まれた時間と経度。その史実の記述が実に興味深い。

緯度と経度。緯度で季節を知り、経度で時を知る。良く出来ていると思う。経度0度を巡るイギリスとフランスの確執。ヨーロッパの列強達が、未知の大海に乗り出して行くことがどんなに大変だったか。西を目指した彼らはどのようにして「時」すなわち「経度」を知り得たのか。

地球が球体で、約24時間で一回りしながら、太陽の周りを約365日かけて、傾いて、公転している。この事が、時間という4次元空間を紡ぎ出していると言えるのだろう。非常に興味深い読み物であった。

2010年11月13日土曜日

BRAVIAブラボー

そして、我が家にやって来た BRAVIA 40-NX800。このブラックパネルへの映り込み具合が、セクシー。

ついでにホームシアタースタンドもセットにしてしまった。

これで BDZ−X90 と合わせて HDMI ケーブルで繋ぐと、インテリジェントホームAVシステムの完成である。

インターネットにも無線LANで接続されるので、まさに快適空間である。使いこなすのが非常に難しい。ちょっと、凝り過ぎた感があるが、これから何年か一緒に暮らすことになるので、少し愛して、長〜〜く愛して。

2010年11月12日金曜日

BRAVIA前夜

ソニーが作った高精細ハイビジョントリニトロン平面ブラウン管を使った、BS/CSデジタルハイビジョン対応テレビのWEGA。今夜でお別れである。

途中、2度の色ズレ調整をして約9年、良く働いてくれた。ハイビジョン対応なのに、BSもCSもたいした番組も無く、宝の持ち腐れと言われながら、BDレコーダの登場でやっと本領発揮してくれた時には、既に時代は液晶とプラズマの薄型平面時代。

ブラウン管方式のテレビは、エコポイントとの交換の名の下に、廃棄の運命を辿る。確かに電力消費は多い。けど、映像は美しい。我が家のテレビやPCのディスプレイは、ずっとソニーのトリニトロンブラウン管であった。でも、時の流れ(年齢)には打ち勝てず、色ズレが修正不能になってしまった。

さようなら、ヴェガ。愛しているよ、トリニトロン。悲しい別れの前夜、一人グラスを傾け、別れを惜しむ。

2010年11月7日日曜日

輪違屋糸里 下 [文庫]

上巻を読み終えるのに時間がかかった割に、下巻は一気に読んでしまった。週末の一人の時間が長かったのでのんびり読んでいたが、やはり芹沢暗殺に至るいきさつとその後の糸里の気丈な振る舞いと太夫としての立ち居振る舞いは、浅田次郎の時代を感じさせる書きっぷりと京言葉の魔力か、一気に読んでいるものをその時代に引き込んでくれた。

最後、吉栄が糸里の生まれ故郷、小浜でひっそりと平間の子どもを産んで育てる決意を固めるあたりは、現代にあって、江戸時代のおんなとしての生き方を彷彿とさせてくれる。新撰組の人物描写については、文章では理解できないところが多かったのが残念。

久々に読んだ浅田次郎だった。

2010年11月6日土曜日

ラジオ体操のすべて

これは、昭和史に残るべき偉大なものであると思う。そう、ラジオ体操である。探してみればあるもので、古い歌から今の歌までが収録されている。

しかも、懐かしい歌声や聞き覚えのある声も収録されていて、ノスタルジーを感じながら、朝の体操に励んでみようかと思う位、新鮮な響きである。

ラジオ放送独特のノイズは、デジタル化によって作られたサンプリングノイズと違って、耳に心地良い。

是非、皆さんも清々しい朝に聞いて欲しい逸品である。

2010年11月3日水曜日

休日の散歩

今日は天気も良いので、上野公園にある国立科学博物館で開催されている空と宇宙展に行って来た。はやぶさとイカロスの帆が展示されているということで、非常に興味を持って行って来た。

特別展示の方は、いつものごとくと言う感じで、展示物(特に歴史的に価値のあるもの)を眺めながら、そぞろ歩きと言う感じで見て回った。ちょっと混雑気味の会場ではあったが、割とゆっくり見学できたかなぁと言う感じ。

特に、はやぶさのカプセルはエンジニアリングモデルだったので、現物ではなかったと思うが、本当に小さい電子工作の延長みたいなものだったので、ちょっとがっかり。それよりも、はやぶさ本体とイカロスの帆の展示の方が見応えがあった。

その後、天気もよいので、不忍池から旧岩崎邸を経て、東京大学構内まで足を延ばし、そこから秋葉原まで徒歩で東京散歩。B級グルメ(ラーメンバーガー)を食し、不忍池からスカイツリーを眺めながら、秋晴れの東京を散歩。いい運動になった。

 このラーメンバーガーであるが、ゆでたラーメンの麺を焼いてその間にラーメンの具をはさみ、スープを少し濃くしてとろみのついた状態になったものをケチャップ代わりに使っていた。

テキ屋のおじさんがかなり適当に作っているが、結構イケる。

はやぶさ2が企画されているようだが、今回はやぶさが取り上げられたのは、いろんな工夫が何度も訪れた危機を救い、予定の何倍も時間がかかりながら目的を達成したことがすばらしいことであるので、それを忘れないで欲しい。

日本人の器用さが、世界に誇れる技術なんだろう、と思った。

2010年10月31日日曜日

小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡 [単行本(ソフトカバー)]

長かった旅の終わりはあっけないものだった。この探査機を知ったのは、激動の年、2003年だった。小惑星に旅して、そこに着陸し土を持ち帰ると言う離れ業をやってのけるというもの。ターゲットマーカへの名前の募集には応募しなかったが、気の遠くなるような旅をイオンエンジンとスイングバイ航法でやってのけるというもの。

途中のいろんなトラブルやタッチダウンの様子などは本の中に書いてある通り、地球で見守るあの時の様子が思い出される。インターネットのおかげでいろんな状況をほぼリアルタイムに見ることができるわけだが、圧巻は地球再突入の様子。TVの中継こそなかったが、インターネットでの中継は感動ものだった。もっと詳しい映像を後に見る事ができたが、7年の宇宙の旅を経て戻って来る事ができたということは、本当にすごい事だと思う。

きっと、何年か後、日本人の宇宙技術者が何かすごい事をやったとき、その人はこの様子に感動した子ども達であったであろうと思う。すごいぞ、日本。

2010年10月30日土曜日

台風

東京の人は、台風、台風って騒ぎ過ぎ。雨の一日、心を落ち着けて、音楽と読書と昼寝で過ごすのである。

2010年10月27日水曜日

輪違屋糸里 上 [文庫]

長州出身の身なのだが、歴史についてはからっきしの素人なので、会津藩と長州藩の因縁を引きずっていると言うこと自体にも疎かったのだが、そんなつまらないことが頭の片隅にあったので、この文庫本を手に取った時に読んでみようと思った。

上巻では、糸里が平間に抱かれるまでのいきさつが書かれているのだが、愛する人のために別の男を受け入れるなければならなかった運命を悲しむと同時に、どうしようもない人間の屑である芹沢が憎くなる。江戸末期の混乱の中で、農民上がりが武士を斬る。下巻が楽しみである。

2010年10月24日日曜日

ポップコーンの手、タカラトミー

こうなるともう止まりませんね。柔らかいものは爪楊枝でさせばいいけど、固い固形物を直接つまむのはちょっと面倒だということなんだろうけど。実用性ははっきり言って無いと思うが、おもちゃという意味では、良く考えている。
ポップコーンの手の評価記事によれば、ポテチの手のノウハウを活かした改良がなされている模様。

日本は平和な国である。

2010年10月23日土曜日

ポテチの手、タカラトミー

こんなものを発見。ポテトチップス(多分、触ると手にアブラがついて汚れるおやつ系)を手でつまむ代わりにはさんでくれるグッズ。おもちゃメーカーのタカラトミーから発売されて半年あまり。来年には新製品も計画中とのこと。

確かに手はべとつくので、食べた後にものに触る時には、ティッシュなどで拭き取らないと汚れてしまうから、エコだという意見もあった。袋の奥まで入れると途中のアブラが器具に付着するので、その汚れを拭き取ったりしたら同じことだよな。

ばからしいが面白い。そんな代物である。こちらが本家の紹介ページだが、この中で、機能をを4文字の英文字で表しているのも心をくすぐられる。
NBCS : No Broken Clutch System
FECS : Finger Easy Cleaning System
NTTS : No Touch Table System

いかにも、IT業界の人向けという感じもするが、英語の文法はちょっとおかしいのも笑える。これは、是非流行らせたい。

2010年10月21日木曜日

キグレサーカス倒産

保育園だったかの頃、木暮サーカスを見に行ったことがある。あやしいテントの中で観た、数少ない父親との想い出として、頭の片隅に残っている。破産のニュースを聞いて、そんな遠い昔を思い出していた。時代が変わり始めているんだろうなぁ、と感じる。

実際に目で見て触って感じる機会が少なくなってきていると思う。その代り、仮想的な体験は数多くできるようになった。果たして、それでいいんだろうか。仕事でそういう世界に居るからこそ、余計にそう思うようになってきたというのも皮肉な話である。

仮想体験はやり直しがきくが、実体験はやり直すことができない。 だから、人生を生きていくことは難しいけど、楽しい実体験をたくさんやりたい。それが、モチベーションなのかなぁ。

2010年10月16日土曜日

Underberg

これは酒か薬か・・・昨夜、しばらく行ってなかった馴染みのバーで終電までの時間をつぶした。最近飲み過ぎてるから薬みたいなの適当に作ってくれと頼んで、出て来たのがこれ『Underberg(ドイツ語読みで、ウンダーベルグ)』。ソーダで割ってライムを絞ってもらったが、ソルマックのごとき味。たくさん飲むというよりも締めの酒って感じ。モヒートとこれを飲んでお勘定。

バーテン曰く、明日の朝はスッキリしますよって言葉の通り、昨晩飲んだ割にはスッキリ。

先週はちょっと飲み過ぎと自己中が祟って反省と後悔の念に苛まれたので、今週はおとなしめに過ごした。でも、まぁ、なんというか、楽しませることが下手くそなのは今に始まったことではなく、ニッチと言われるところが、自分の取り柄でもあり、これを理解してくれる奇特な人を探すしかないんだろう。

薬草酒、いろいろあるんだなぁ。養命酒も薬草酒。日本の薬草酒を探してみようと思った。

2010年10月11日月曜日

オクトーバーフェスト2010横浜

オクトーバーフェスト横浜 in 赤レンガ倉庫に行って来ました。まぁ、真っ昼間からビールをがぶ飲みする人、人、人。自分もその一人になって、ジョッキで3杯のビールを飲んで、満喫。

いやぁ、それにしても快晴の空の下で飲む冷えたビールの旨いこと、旨いこと。ソーセージも美味しくて、わざわざ電車で1時間半もかけても行く価値あり。

いつも、横浜に行くと、横浜駅からはシーバスが定番。今日も海から赤レンガ倉庫を目指したのでした。

APECで警戒中の警察官がたくさんうろうろしていたのと、海上警備の訓練で水上署員と海上保安庁の保安官が港内を黒いボートに乗って走り回ってました。

たまにはこんな横浜もいいなぁということで、3連休は終わったのでした。

2010年10月10日日曜日

秋の一日

今日は朝は雨だったが、昼前から止んだのでぶらっとお出かけ。まず、会社によって出張帰りの後付けをして、つくばまで学園祭を観に行く。まぁ、田舎の大学の学園祭なので、1時間もぶらぶらして帰宅。願掛けのつもりで伸ばした髪だが、願がちょっとだけ叶ったので、カットしに立ち寄った。いつもは予約して行くのだが、今日はフリーで登場したので、マスターは驚きの顔。
徒歩で自宅まで帰る道すがら、近くの八幡神社で豊作祈願の神獅子舞が行われているので、しばし参拝。地元の氏子の親子が舞う獅子舞で、一年に一度の晴れ舞台を踏むのである。こじんまりとお囃子に合わせて舞う獅子舞。東京の片隅にも、まだこうして昔ながらの風習が受け継がれているのである。
高層タワーの高層階から下界を見下ろして夜空の変わりにはできないが、見える星の数が乏しい東京の夜空には、火星が輝いている。獅子舞と夜空を眺めながらビールを飲む。ロマンを感じる瞬間が、そこにある。

2010年10月9日土曜日

桃源郷

どこにあるのだろうか。虚無と逃避の果てにたどり着く場所。そして、誰もそれを見る事ができない理想郷。そんな想いにちょっとだけ近づいた。でも、やっぱり、そこはまだ入り口だった。

なんでだろう、、、あと一言が出てこない、繋ぐ言葉の難しさ。でも、理想だよな。

3連休の初日が雨とは。明日も天気が悪そうなので、おとなしい連休を過ごすかな。

2010年10月3日日曜日

いろんなものがリンクする

Twitter, Facebook, Mixi, Picasa, Google, etc.インターネット上のいろんなサービスで使われるIDが、いろんな形でリンクしている。IDを征するものが、世界を征する、と言っても過言ではないだろう。使われ方を間違うと恐ろしい世の中になる。でも、利用者は利便性を求めるので、それに気付かずに使っていて、その恐ろしさに気が付いても後の祭。

脅し過ぎるのは良くないが、使い方と同時に使われ方も考えるのは必要である。

なんか、こう、虚無。

2010年9月26日日曜日

ノンアルコールビール風飲料

ノンアルコールビールなるものを飲んでみた。はっきり言って、まずい。ビールのような作り方をした、炭酸は入っている、ビール風味のジュースってこと。

味付けが工夫されているとは言え、なぜアルコールの入ってないアルコールもどきを飲む必要があるのか。

車の運転は危険だし、飲んだつもりで味わうだけかも知れないが、やっぱりビールはビールの方が良い。発泡酒も同じで、税金だけの問題でビールを味わいたいのなら、ビールを飲もう。

酒もタバコも嗜好品とは言うけれど、それで税金が高いのであれば、消費喚起させる意味でも減税すべきと思う。

2010年9月23日木曜日

秋分の日

今日は秋分、そして満月の夜。宇宙の神秘を感じるね。今日は曇り空なので、満月を眺めることはできないかもしれないが、雲の上の宇宙で静かなる天体の動きを想像してみよう。iPadとiPodTouchを買ってしまったのだが、無線LANはまだまだ街中に普及しているとは言えない。使い買ってが悪いので、有料のサービスへの乗換えを考えている。

都市部では難しいかもしれないが、田舎に行けば、通信手段としては使えるかもなぁ。

2010年9月18日土曜日

夜の馬車道

昨夜は久しぶりに横浜で仕事帰りにご飯を食べた。馬車道沿いの昔の飲み屋が集まる場所にひっそりと営業する中華料理店。お腹一杯である。食事の後、歩いて赤レンガ倉庫まで行って、ぶらぶら。古い横浜海運局のビルがまだ残っているが、それ以外はすっかり新しいビルに立ち替わっている。

みなとみらい21。自分が船を降りた時に構想がスタートし、着々と建設が続いてもう20年以上になる。横浜博には行ったが、人の多さに辟易したのを思い出した。でも、夜の赤レンガ倉庫はまた一段と落ち着きを保っていた。保税倉庫が観光名所になるというのも面白いよね。

あまりうろうろしているとAPECの早期警戒中の警察官に職務質問されそうなので、21時には帰宅。そういえば、その前日、田代まさしが逮捕されたのもそこだった。

う〜〜ん、やっぱり横浜、港町はいいよね。

2010年8月16日月曜日

旅の総括


より大きな地図で Cruise2010 を表示
今回の船旅を総括すると、日本人的な楽しみ方ではなく欧州人の楽しみ方をすべきであったと反省した。船に乗って行けなかったところを旅することが当初の目的でありそれは達成されたものの、船旅を楽しみ4カ国を訪れたのだから、もっと文化や芸術、人との交流を深めることが、船旅の醍醐味であるということを感じたからである。

どうも、人に言う程、自分は社交的ではないみたいである。仲良くなるには時間のかかる人間なので、もう少し、人と触れ合う事に積極的でありたいと思うようになってきた。

船旅は最高である。また、行きたい。欲を言えば、船乗りに戻りたいが、既にその職種は機械に置き換わっている。もう、いつまでもそういうことを言うのはよした方が良さそうだ。

2010年8月14日土曜日

Back to Venice(Venezia)

7泊8日の船旅も終わりベネチアへ帰港。

朝早く起きて、早めの朝食を済ませ、入港から着岸までをトップデッキで海風にあたりながら眺めることにした。迎えのタグボートがベネチア港の入り口で待機していた。ここからは、ゆっくり、運河を戻る。乗船するときは、事前の情報不足からえらい苦労をして、ローマ広場からやってきたが、帰りはタクシーで戻った。飛行機の時間までちょっと余裕があるので、バポレットでムラーノ島まで行こうかと企むが、微妙に戻れない気がして断念。また、来よう。

空港には、フェラーリがF1で優勝した時のマシンが展示してあったので、写真に収めた。空港の免税店で買い物して搭乗。つい、先週の土曜日にやって来たのにもうさようなら。

フランクフルトの空港で待ち時間が4時間もあるので、往きは乗り継ぎまで30分を切って空港の端から端まで走ったのに比べ、帰りは途中で軽食をとる事ができた。いやはや。こうして、人生初の乗客として船に乗ったアドリア海エーゲ海クルージングの旅は幕を下ろしたのである。

2010年8月13日金曜日

Dubrovnik, Republika Hrvatska

読み方が難しいが、クロアチアのドブロブニクに入港。城壁に囲まれた、歴史ある街を探索。恥ずかしい話だが、この都市のことはあまり調べていなかった。

港の入り口の灯台である。ここから右舷側に向かって新港が作られている。豪華クルーザやヨット、そして別荘やリゾートホテルが並ぶ。写真は撮らなかったが、ツアーバスで港のゲートを出る時、バスに機関銃を抱えた兵士が乗って来てチェックをされた。そうか、旧ユーゴ内戦の戦争の爪痕がここには残っていたのである。


世界遺産として登録されているのだが、ユーゴ内戦の時に攻撃を受けた痕跡が残されている。壊滅的な破壊攻撃を受けた訳ではないが、城壁で囲まれたこの旧市街もロケット弾をいくつか浴びていた。最初に見学した、修道院にはポッカリ空いた壁の穴が残されていた。ただ、そこには世界一古いと言われる薬局があり、普通に薬を売っているのだが、なんか複雑な心境であった。


城壁の上から、メインストリートを写してみた。実際にはこの中を歩いた後、城壁を一周してみたのだが、これが結構大変であった。限られた時間の中なので、のんびりと言う訳には行かないが、下を歩くのと上から見るのとでは大違いである。これが何百年も前から残っているというのがすばらしい。


見晴らしのいいところから写すとこんな感じである。まさに、城壁の中の街、アドリア海の真珠、なんとでも形容できる。内戦の時は、この城壁の裏にそびえる山を越えて二つの国から攻められたそうだ。怖そうな顔のガイドが話してくれた。複数の民族が一つの国家を形成する難しさは日本人には理解できないが、ヨーロッパの小さな国は歴史に翻弄される宿命なのであろう。

写真はまだまだたくさんあるのだが、このガイドの説明を聞いているうちに、平和のありがたさが身にしみて来て、今はこうしてリゾートと化した歴史の城壁の街は、直接目で見て欲しいと想い、限られたものだけをここに載せることにした。


船は夕方出港。川の両岸に掛けられた橋を遠目に船は港を離れて行く。明日は、ベネチアに戻る。あっという間の一週間であった。今日は、夜中までに荷物をまとめて通路に出しておかなければならない。なんだか、もう一週間この船に乗りたい気分である。

2010年8月12日木曜日

Sailing from Aegean Sea to Adriatic Sea

今日は丸一日航海日。船は、エーゲ海、イオニア海を経由してアドリア海へ。

Maleas岬に教会があって、船が汽笛を鳴らすと、教会の鐘を鳴らしてくれる。それが聞こえる位近くを交わすのである。この景色と風景はとても心安らぐものであった。

名も知らぬ島の間を航海する。







ギリシャ最南端の岬、テナロン岬。この先、Schiza島、Sapientza島、Ketallonia島、等のギリシャ西岸の島々の沖合を北西方向に航海して行くのである。




ひたすら、こんな感じで船は航海して行くのです。鈍足のタンカーと違って23ノットのクルーズ船のスクリューがかき混ぜる足跡は、凪いだ海面に細く長くその航跡を残して行くのである。デッキで寝そべってみたり、オープンカフェでお茶したり、プールサイドでビンゴしたり、ただ、だらだら過ごすだけの一日。





今日の夜は、最後のガラナイト。船からのプレゼントとしてDinnerの後にケーキのごちそう。何と言う名前か忘れたが、表面のアルコールに火を点けて電灯の消えた船内でウェイターが各テーブルに配って行く。

そろそろ、この旅も終盤にさしかかる。明日のドブロブニクが最後の寄港地となる。

2010年8月11日水曜日

Istanbul, Turkey

今回のクルーズ旅行の目的はイスタンブールでヨーロッパとアジアの接点を感じること。欲を言えば、ボスポラス海峡を通って、黒海クルーズまで足を伸ばしたかったのだが、そこまで休むと会社をクビになりそうなので、入り口のイスタンブールまで行く事で我慢したのである。

朝起きると、イスタンブールのアジア側から朝日が昇って来た。夜のうちに、ダーダネルス海峡とマルマラ海を通航してきたのだが、心地良い眠りの中で、見たかったものを見ることもなく目覚めるとは。

例のごとく、ツアーに出発。出発風景は、いつもの通り、複数種類のツアー毎に集合場所が異なるため、船内放送を聞きのがしまいと耳の神経が張りつめる。まずは最初に船が着岸している新市街側の港からバスでガラータ橋を渡り旧市街へ。そして、最初の目的地ブルーモスク(Sultan Ahmet Mosque)へ。神聖なるイスラムのモスクなので、靴を脱ぎ、肌を露出している服を着ている女性にはショールが渡される。ただ、トルコはヨーロッパの文化も入っているので、寛容ではあったが、嫌がるヨーロッパ人も居た。その隣の、サルタン公園をぶらぶらしながらバスに戻る。

ツアーとは言え、途中でバスを降りて自由散策の時間が設けられているのだが、ツアー会社の企みで自由散策の前のトイレ休憩と集合場所となるとあるカーペット屋に連れて行かれ、ペルシャ絨毯(トルコ絨毯)のセールスを受けるのである。手作りトルコ絨毯の良さを一生懸命説明しているのはわかるが、高くて買う気にもならない。受注生産で国際送料無料とかいろいろ言われても、100万円以上するカーペットなんか敷く家ないし。トルコ茶をタダで飲ませてもらいながら、カーペット売りのパフォーマンスとして楽しんだということでおしまい。

今日は、グランバザール(トルコの人の発音だと、グランバザァールルゥ)が開かれる日だということで、早々に移動。まぁ、確かに広いショッピングモールだというのは解ったのだが、どの店も同じようなものばかり。おまけに、日本語で話しかけてくる。歩き回って見るだけにした。なんか、怪しそうなものが多いような気もするし、観光名所に集まる外国人だと解ると値段を判断する価値観が狂ちゃうしね。

街中を散策して、集合場所のカーペット屋前のイタリアンカフェで休憩。それにしても、時差ぼけが直らず眠い。日本時間にして午後3時なのに、眠いということはいつも昼寝してたのか!、と。次は聖ソフィア教会(Hagia Sophia)へ。ここは、歴史の中で宗教に翻弄されながら教会からモスクになったり、今は博物館のようになっていた。これぞ、ヨーロッパとアジアの融合というような印象であった。内部は補修中のところが随所にあって、ちょっとがっかり。

次は、シラガン宮殿(Ciragan Palace)。旧市街からバスで新市街へ移動。この宮殿、今は、高級ホテルの一部になっているオスマン帝国時代の宮殿の一つ。ここで、ツアーは昼食を取る。いくつかのツアー流れも同じ時間帯に集まるので、大きな部屋の中はさしずめ、自分の船のレストランの様相であった。この宮殿前から一同はチャータフェリーで旧市街を目指す。



途中、自分達の乗って来た MSC Magnifica の傍を通るのだが、やはりでかい。


そして、ツアー最後の場所、トプカプ宮殿(Topkapı Sarayı)へ。まじめな日本人なので、写真撮影はご遠慮くださいという場所では写さなかったのと、実物を見て楽しむのをモットーとするので、写真は中庭のこの一枚。挨拶の門をくぐり中庭へ。宮殿全てが博物館ではあるが、閉まっているものもあって、ハレムには入れずじまい。一通り見終わって、中庭の芝生で涼んでから、集合場所の入り口の噴水(Fountain of Ahmed III)へ戻る。帽子売りの子どもが近寄って来るが、全く言葉が通じない。ボディランゲージで値切り交渉していると元締めみたいなのが来て、これ以上はまけられないと言われたので、じゃぁ要らないと言うとしばらくして戻って来てさっきの値段で売るよ、と。観光名所では当たり前の光景だが、ちょっと疲れ気味なので、お引き取り願った。

朝7時入港で夕方出港。滞在時間約10時間を有効に使うためにツアーを選んだが、だいぶ後悔した。もっと、集中的に見て回るべき場所なので、面倒でもよく調べてから自分の足で回った方がよかったかな。出航後、沖待ちの貨物船の横を南下。あぁ、穀物か鉄鉱石を積みに来ていたら、ここの一つに入っていたであろう。

こうして、このクルーズ最大の名所イスタンブールが慌ただしく過ぎて行ったのである。これから丸1.5日航海である。今日の夜もDinnerの後は、ワイン飲み過ぎで眠ってしまい。夜中のダーダネルス海峡通航を見逃すのである。

あぁ、何のためにここまで来たのか。後悔しきりのトルコであった。こういうことから、また行きたいと思うのであろう。

2010年8月10日火曜日

Izmir, Turkey

朝目が覚めると、イズミール湾の入り口にさしかかっていた。0800LTイズミールに入港。市街地観光のExcursionに出発。

トルコ初上陸。ゲートを通って、バスに乗り込む。このクルーズの寄港地では、いくつかのExcursionが組まれており、詳細を良く調べもせず、乗船初日に全て申し込んでいるので、時間が来たらロビーに集まって番号札に従ってぞろぞろ歩き回るのである。英語ツアーの外国人と一緒に回った。


イズミールの新市街はこんな感じである。市街地観光なので、市内をひたすらバスで走り、途中、美術館で美術品の見学をした後、対岸にフェリーで渡りショッピングを楽しんだ。トルコで3番目に大きい都市ということだが、日本人はツアー客以外全くみあたらない。ここは、アジアの玄関なんだなぁと感じた。香辛料の店はあちこちにあり、もっと滞在したらトルコ料理が楽しめただろうなぁと思った。

昼ご飯を街中で取り、トルコ茶を飲み、つかの間の休息。時間を気にしながら帰りのフェリーの時間に間に合うようにガイドが指定した場所に急ぐ。船に戻って、午後のおやつにありつきながら、出港風景を眺める。

なんだか、バスツアーの慌ただしさのようなクルージングになってしまった。もっと、ゆっくり街中を歩き回りたかったが、いよいよこれから楽しみの一つイスタブール目指して航海していく。

だが、Dinnerとショーで夜も楽しませてくれるので、ついつい眠ってしまった。エーゲ海とマルマラ海を繋ぐ、ダーダネルス海峡通航の様子を見るはずが、夢の中、とは、、、、

2010年8月9日月曜日

Katakolon, Greece

昨夜、船内時計が1時間進んだのでちょっと眠いが、午前6時起床。午前7時過ぎにカタコロン入港。朝食を済ませ、OlympiaへのExcursionへ出発。

船は漁港みたいなちょっとしたヨットハーバーに着岸しているが、ちょっと離れたビーチから見るとこんな感じに見える。

バスで、Olympiaの丘を目指す。およそ1時間で到着。オリンピック発祥の地ということだが、地震や戦争で崩れてボロボロの状態の神殿跡ばかりに見える。歴史上の場所ではあるが、よくぞここまで残っているなぁという感想である。

ヘラ神殿跡だけが聖火の採火の時だけに使われているということだが、ここで何百年も前に平和の祭典というか会議が行われていたというのだから、今のこの状態から見ると不思議である。

あちこちに監視員が居て、立ち入り禁止エリアや石に触ろうもんなら、「ピー」という甲高い笛を吹き鳴らして警告する。
観光客とおぼしきツアーは我がMSC Magnificaの乗客だらけである。まぁ、Katakolonの停泊時間が短いので、ツアーに行くかプールで泳ぐ位しか楽しみがないから仕方ない。

バスで1時間弱もかかる場所なので、バスに乗り遅れたりすると大変と思っていたのに、自分が駐車場を間違えて同じバスの皆さんを待たせてしまって反省しきり。最初の観光地でお土産物を買おうとしたのが悪かった。
軽いお昼休憩をビーチで取って帰船。

1315LT、カタコロン出港。今日の夜は、初のフォーマルナイト「ガラ、カタコロン」シアターではショーの始まりが食事の順番に合わせてくまれているので、Dinner終了後にシアターへ。今日のショーは何でしょう。



こうして、ギリシャの領海を離れエーゲ海を進んで行きました。夜、エーゲ海の美しい島々の間を航海するのですが、眠っている間の出来事なので、ちょっともったいない事をしました。

2010年8月8日日曜日

Bari, Italy

バーリ入港。徒歩で旧市街を観光。

客船ターミナルが出迎えてくれます。この船にはサイドスラスターがついているので、船の向きを変えずに横にスライドして着岸するのです。今の客船ではあたり前の機能です。


初の上陸地ですが、今日は日曜日。街は静かにお休みでした。ターミナルから旧市街が近いので、タラップを降りて徒歩で観光に出発。ターミナルには、タクシーやら観光バスが待機していて、市内観光に誘っていますが、距離を見ると近そうなので出港までの3時間、ぶらぶらしてみることにしました。

1450LT、出港。


ロビーデッキにはピアノが置いてあって、定期的にバイオリンと一緒に演奏しています。この船はカジュアル大型客船、いわゆる大衆向けのクルーズなので、船内には子どもから大人までがくつろげるスペースが数多くあります。

今日は、船内探検で終わってしまった。

2010年8月7日土曜日

Onboard MSC Magnifica in Venice, Italy


朝起きると目の前は水路。水上タクシーが行き交うベネチアならではの光景。午前中は、自分で考えたベネチア観光ルートを辿ってみたが、限られた時間しか無いのでゆっくり鑑賞することができなかった。ムラーノは最初から諦めたのだが、こんなことなら、最初からムラーノ決めうちで早朝から船で行ってみれば良かったと後で後悔した。

当然、ゴンドラに乗れる時間的余裕もないので、バポレットで移動しながら、それらしい光景に出会うと写真に収めるという具合。 ローマ広場〜リアルト橋〜サンマルコ広場〜アカデミア。途中、博物館や美術館を徒歩で周りながら、ローマ広場へ戻って来た。

代理店からもらった地図によれば、客船ターミナルまで徒歩で歩けるということだったが、そんなの嘘。水路で分断されたベネチアの街は橋を渡らないと向こう側へは渡れない。目の前にターミナルと乗船する予定の船のファンネルは見えるが、自動車が入れないベネチアの街中に道路が接続されているはずは無く、ぐるっと遠回りして、スーツケースを押しながら汗だくになって歩く事30分、距離にして約2Km。やっと到着。



サンマルコ広場前は運河になっており、先ほど観光で歩いた街並をトップデッキから眺めながら、優雅な船旅がスタートした。

ベネチアという島の構造は水上都市そのもの。いったいどこが地面なのかと探してみても全て石の上。地面というものは既に海面下に沈んでいるようだ。


それにしても、この船「MSC Magnifica」はでかい。
全長300m、総トン数95,128トン。旅客定員2518人、乗組員1259人。最高巡航速度23ノット。高さが60mもあるこのトップデッキから下を見下ろすのは気持ちよい。さて、明日目覚めたらどこを航海しているのだろうか。ワクワクである。